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市民の皆さんは根室本線の歴史をご存じでしょうか。当時は下富良野線と呼ばれ、大正2年の開通に際し、滝川が上川線(現函館本線)からの分岐点となった経緯には、この街の将来を見据えた誘致運動がありました。街をあげての熱烈な運動に私の祖父も参加しており、今の国会議員にあたる貴族院議員にお願いをしたことなどを昔話として聞かされました。その甲斐あって、根室本線の分岐点は滝川に決定され、道東への人の移動や石炭等の物資の輸送で一躍交通の要衝となったことが、滝川の発展の基礎を築いたのです。しかし、南千歳と夕張を結ぶ石勝線が出来てからは厳しい収支状況となり、現在は100円を稼ぐのに1、010円もかかる赤字路線となってしまいました。
そのような中、昨年11月に突然JR北海道が単独では維持困難とした10路線13区間を発表し、根室本線(滝川~新得間)もその対象とされました。現在滝川を含む沿線自治体で構成する根室本線対策協議会で事務レベルの協議を進めていますが、私はまず北海道が全体的な交通体系のあり方をつくり上げ、国・道の支援のもとで、地域の知恵とJRの努力で何としても残さなければならない路線と考えています。なぜなら、地元の利用者増には限界がありますが、農産物や観光客の輸送にはまだ可能性がありますし、100年以上前にこの街のために立ち上がった祖先の想いを大切にしたいからです。沿線自治体の長として根室本線を残すために自分たちにできることは何かを考え行動して参りますので、市民の皆さんにもぜひ関心を持っていただければと思います。
広報たきかわ8月号に掲載した市長コラムを掲載したものです。