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『二つ以上のものが、争うことなく、ともに生き、ともに栄えること』
私の曾祖父は明治20年代前半に、徳島県から空知太に入植しました。祖父は徳島のご縁で戦前、雨竜町の蜂須賀農場の農場長を務めていました(農場を開いた蜂須賀茂韶侯爵が徳島県出身)。幼いころ、まだどちらにも小さな家や事務所があったので、祖父に連れられてよく遊びに行きましたが、幼い私は全部が同じ一つのまちだと思っていました。
明治23年に滝川は開村しました。川を交通機関として活用し、川を境界線としていた時代です。それから122年、交通機関や情報通信網が大きく進歩しているのに、この中空知の市町の枠組みはほとんど変わっていません。炭鉱閉山などによる急激な人口減、景気の低迷による経済の縮小、待ったなしの少子高齢化、それらに対応すべく8年前、中空知5市5町による合併が議論されましたが、残念ながら実現に至りませんでした。
そして今、地方財政の状況が厳しさを増す中で、新たな発想が求められています。そこで私は、今一度広域行政を再認識し、さらに進化すべきであると思っています。現在、赤平市・芦別市も加えた広域消防や全国でも珍しい戸籍事務の広域連携が計画されています。これからもっと観光や医療なども連携していくことも望んでいます。そこでこの連携に大切なのは、お互いを認め合うこと、自分のまちさえ良ければという考えをもたないことが基本であると思っています。
「共存共栄」のための広域連携を共通理解のもと、さらに進めていきたいと考えております。ぜひとも市民の皆様のご理解とご協力をお願いします。
広報たきかわ10月号に掲載した市長コラムを掲載したものです。